嫁姑問題で苦しんでいるお母さんに送る言葉

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実家にあえて帰らず、半年以上間をあけて帰省した今回。
おばあちゃんに対するわたしの心証が大きく変わったので、記しておく。

わたしの家庭は、小さい頃 嫁姑の関係が悪かったので、私自身は自分との距離が一番近かった母の味方をしてきた。
(どれくらい嫁姑間の仲が悪かったかは、プロフィールを読んでもらうと少しわかると思う。⇒プロフィール
しかし、あれから10年くらい経った今、我慢し続けていた母が一番の被害者だったのかと考えるとそうでもないような気がする。

母は「離婚せずに両親そろっていることが幸せに決まってる!」というよく分からん考え方をする人だった。
こういう考え方をしている人間は、昔の日本人に意外と多いのではないだろうか?

 

「自分だけが我慢して、子どもが幸せになってくれれば」などという自己犠牲の考え方で行動してしまいがちなお母さんに読んでほしい。
頑張ってるけど嫁姑関係がうまくいっていないお母さんが、行動を振り返るきっかけに少しでもなればいいなと思う。

嫁姑関係がうまくいかないのは、相手の立場に立って考えられないから

pink-heart

母が一生懸命なのは、過去も今もわかる。
けど、それはひとりよがりになってないだろうか?
「自分だったらこうしてもらえると嬉しい。だから、相手も喜ぶはず!」っていう自分基準で相手になにかしてないだろうか?
それで相手が喜んでくれることなんて、すごく稀なこと。

方向性を間違えると、どれだけ頑張っても仲が改善するどころか、むしろ関係が悪化してしまうんだなぁとこの目で見てきた。

おばあちゃんも、母も、「自分がしてもらうと嬉しいけど、相手にとっては嬉しくないこと」を頑張ってた。

 

そうはいっても、どうしても立場を想像することが難しい相手もいるかと思う。人間だから相性もあるし。
そういうときは、自分の気持ちが腐る前にさっさとお互い距離をとるのが一番平和な解決策

 

「そんなこと言われても、どうしても近くにいなくちゃいけないんだよ…!」という人もいるかもしれない。
現状を変えるためには、どうしたって自分自身が今までと違う行動をとらなきゃいけない。それを怖がったり、億劫に感じたりしてるだけなんだと思う。
こんなきつい言い方をされても心にすとんと入って来る人なんてごく少数だろうけど、頭の片隅にこの言葉を少しだけ残しておいてほしい。

痴呆になったおばあちゃんの笑顔は、ホッとするかわいいものだった

grandmother

わたしのおばあちゃんについて少し説明すると、
若い頃はたぶんお金を貸す商売人をしてた。
小さい頃お金に苦労していた経験もしてるんじゃないかと思う。
そんな経験をしているおばあちゃんは痴呆になった当初、「あんたがお金とったんじゃろ!」っておじいちゃんを責め立てたり(もちろんおじいちゃんがお金をとることなんてない)、機嫌を損ねると包丁を持ち出したり(大事にはならなかったから良かったんだけど)と、気性が激しいトンデモな人だった。

そんなおばあちゃんを見て、血が繋がってはいるものの、正直言うと、おばあちゃんが入院するたび「なんて迷惑。早く死んじゃえばいいのに」って思うこともしばしばあった。(ご先祖様、本当ごめんよ)
祖父母と話をしてても楽しくないし、帰省するたび付き合いで、祖父母の家に行くことが億劫だった。

 

そんな感じだったのが、今回の帰省で少し自分の気持ちが変化した。

 

おばあちゃんは痴呆が進んでしまって、家族の顔はまだ分かるけど、ご飯を食べたか・薬を飲んだか時々忘れている。
けど、予想外におばあちゃんは自分自身がボケてしまってきていることを受け入れているようで、ご飯を食べた・食べなかった問題はこんな感じのやりとり。

おばあちゃん
お昼ご飯、食べたっけ?

めぐ
さっきご飯食べたよ

おばあちゃん
そうかいね~?笑

反論することなく、朗らかに笑ってくれるおばあちゃん。まじで衝撃的。

 

昨日イチのやりとりは、

おばあちゃん
おじいちゃんがわたしに隠れて、深夜に電気も点けずに、にまーっと笑いながら一人でスイカ食べてるんじゃ!

めぐ
そんなん、ホラーやん…違う意味で怖いわ

「「「(一同笑)」」」

おばあちゃんも笑ってる。
もはや吉本のコントみたいな調子だ。意図せずに、ボケツッコミが出来上がっている。
おそるべし、おばあちゃん。

 

こうなるまでには、おばあちゃんにも色々な葛藤があったんじゃなかろうか。
おばあちゃんが入院で弱るたびに誰かのお世話にならなくちゃいけなくって、身の回りのお世話をしてくれた母やおじいちゃん、金銭的に支援してくれた父がいたからこそ、今周りの人に感謝の言葉を口にするおばあちゃんがいる。

あんなに他人を責めてばかりだったおばあちゃんが、自分がボケてしまったことを受け入れて、何かすると「ありがとう」と笑顔で言っている姿を見て、ホッとしている自分がいた。
人間ってこんなに変われるんだって、感動すら覚えた。
ロジックなんてなくて感情がいきなり飛んじゃうけど、「生きててありがとう」って自然と思えた。

 

「昔おばあちゃんがしてたことを許せない」とかたくなになって、今は全くない昔のおばあちゃんを 嫌なことを思い出して心を濁らせるのは、自分を自分で不幸にする行動だ。
「忘れる」ことができているおばあちゃんの姿は、存外尊敬の念すらおぼえるものだった。

過去を変えることはできない。
それなら、嫌なことはさっさと忘れちゃおう。
思い出しても受け流すだけ。受け流してたら、そのうち感情は薄まってくれる。

ネガティブ思考の根本は「自責」

sad-woman

嫌なことをさっさと忘れた後は、自分がトキメキをおぼえるものに目を向けたほうがいいんだって最近気づいた。
趣味の卓球でも、好きなテレビ番組でも、何でもいい。

嫌なことをずっと抱えてると、何かを責め立てないと気持ちがおさまらない。
そういうときって、すぐに不満が口から飛び出す。
「…すればよかったのに」が口癖の人になってる。

責める対象が他人のうちはまだぷんすか怒ってるだけでいいんだけど、自分を責め立てる習慣がつくと本当に厄介で、メンタルを病んじゃう。考え方の癖ってなかなか直らないもの。

 

自分以外の他の人間から怒鳴られるとかであれば、その人と距離を置けば、忘れられる。
だけど、自分が責める人になって、間違って自分自身を責める対象にしてしまうと、24時間自分のことを責め続ける。
夢の中でさえ、潜在意識に刷り込まれてるから誰かに怒られる夢とか見ちゃう。
どんな場所に行ったって、死ぬまで自分から逃げることはできない。

 

自分が我慢することの多い、望まない人間関係を作り上げてしまわないよう。
好きな物やときめくものに少しずつ意識を注いで、不要な物や嫌な感情はどんどん手離していこう。

 

この文章を書いてる、「めぐ」ってこんな人⇒ プロフィール

 

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