母を見て、ハタチを超えた娘のわたしが思うこと

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もうね、ブログは頻度重視でいくことにします!

ってことで、文体もバラバラ。あとから記事を消すことができるのもブログの良いところだし。

方向性が決まってから、そこは整えてけばいいかなぁと。

 

とりあえず、その時の気分で一番書きやすい文体で、日々の雑記を。

雑記を書いていいのが、ブログの良いところだもんね。

 

自分のやりたくないことに、なぜ貴重な時間を費やすのか

koala

これね、母を見てて最大のギモン。

たぶん私が生まれてから、母は「母(自身)<わたし(子ども)」の優先順位で体を動かすうちに、「自分のやりたいこともやりたくないことも全て我慢する」耐性が身についてしまったのかもって思う。

けど、それって昔の話なんだよな。

 

現在でも、姑(わたしのおばあちゃん)に尽くすのはおかしくないかい?

女性が旦那に養ってもらっているからといって、旦那の母親の面倒を見なきゃいけない義理ってあるもんなの?

もちろん、本人に姑に対する労わりの気持ちや感謝の気持ちがあるなら、恩返しの意味も込めてお世話したくなることもあるだろう。

そうじゃない、昔された仕打ちを深く根に持った人が、嫌いな尊敬も出来ない相手に尽くすなんて、めちゃめちゃに体に悪いことこの上ないよ。

 

わたしが、母から学んだ姿勢はなんだろうか。

「男並みに稼いでいけるように」と、父からも母からもわたしは願われた。

親から支援してもらって、学歴も職歴も、わたしはそれなりに身につけた。

けど、会社員の仕事は手放した。

なんなら、学歴だって大学院のころ、もういいやって放棄しようとした。

男並みに稼いでいけるようにと会社で勤め続けることは、わたしが欲しい未来とどうしても違った。

 

この年齢になって見えてきたことがある。

大人ってこんなに精神的に未熟なのかよってこと。

子どもがいようがいくら稼いでいようが、親とのわだかまりが残っている人の多さに驚く。

 

誰かと一緒に暮らしていくことは、生きていく上で協力できてプラスになることが多い。

なのに、その一方で、あまりにも近すぎる距離では、家庭では思った以上に簡単に人を傷つけることができる。

物理的に「ひとり」になったことがないと、プラス面よりもマイナス面のほうが目立つ。

 

「ひとり」になったことがないまま、生きてきたのがわたしの母だ。

嫌々我慢してやり続けることで、自分の人生を浪費しているように思えないのかな。

やり続けることを選ぶのだってそれはそれでありだけど、せめてやるなら一つでも小さな楽しみ見つけるくらいのことじゃないとさ。

この気持ちはわたしのエゴだってわかってる。

それでも、母がいやいや姑のために尽くす姿など見たくない。

 

今後の行動指針

clock

無条件に「したい」と思えることに向かって、身体を動かそう。

得意なことは見えてるから、あとはその得意なフィールドでどれだけ時間の使い方をうまくしていけるか、にかかってる。

 

致命的にダメな部分があると、そこばかり気になって自責が止まらなくなる時もあるのだけど、時間の使い方をうまくしていけば必ず解決していけることだから大丈夫。

自責して、行動を止めてしまうのがたぶん一番回避したほうがいいこと。

 

「サラリーマンだから時間がない」とか、「親にお金を出してもらっているから」とか、そういう言い訳をして散々「行動を止める」を選択してきた。

言い訳を全部ぬり潰してきたおかげで直視できた、自分の直したほうがいいクセを変えていこ!

そこのハードル超えれば、自分ひとり養っていけるくらいの稼ぎって、会社員やめてもそう難しいコトじゃない気がしてるんだよな。

この4か月、いろいろな人とお話したり、自分の能力を客観的に判断してもらったりして。

 

やる必要がないことに時間を費やしてしまっているのに気づいたら、ストップ。

睡眠リズムは一定に。

タスク管理は常に。

あと、直感で付き合う人は選んで良し。

自分に必要な人って、たぶん直感のほうがアテになる。

 

 

この文章を書いてる、「めぐ」ってこんな人⇒ プロフィール

 

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